ニッポンウマミツーリズム
#うまみ展
渋谷ヒカリエ8階
#d47MUSEUM
始まりましたー!
「う」といえば向田邦子さんですね。
机の引き出しの「う」と書いた封筒には、全国を旅したうまい店のパンフレットやカードを入れていたというエピソードが有名である。



今回は47都道府県の郷土料理「うまみ展」。
食のロングライフデザインを考える展覧会
#umami ハッシュタグを見るとインスタで77万件もヒット!もはや世界共通語。

はて、(・・?うまみってなんだろう!?
単なる味覚ではなくその背景にある風土、植生、文化に育まれたもの。
その土地で生きる知恵として受け継がれてきた、それぞれの風土に繋がる47の「うまみ」を通して、各地の食の風景を感じる企画展。 



D&DEPARTMENTキュレーター相馬夕輝さんと農文協『日本の家庭料理』編集者・中田めぐみさんのトークセッションも。



「日本の食生活全集」全50巻についての話しが印象的でした。
昭和初期(1930年頃)に全国300地点、5000人の話者から「聞き書き」してできあがった世界最大の食文化データベース。
今残しておかなければ永久に失われてしまうと、記録したという。1993年発行。
わたしは昔石川テレビというところにいたのだけれど、
会社の本棚にこれがあった。
石川の食事、富山の食事、福井の食事、3冊あったように思う。
それほど一生懸命読み込んだわけではないけれど、農山村の取材をするとき、祭りや行事に合わせて伝統料理について確かめたい時に、辞書のようにパラパラとページをめくった記憶がある。
かっちり、報恩講さん、堅豆腐とかあったなー。
時は変わり、
2024年、渋谷のど真ん中、ヒカリエで郷土料理の展覧会が開かれるとは、と中田さんは感慨深げに語った。



キュレーターの相馬さんは、今回の展示や47都道府県の食堂メニューを考える時に参考にしたのだという。
記録しておかなければいけないものがある。
時代によって、素材が変わったり、味付けが変わったりするけれど料理とはそういうもので、レシピはあくまで目安であって頑なに守ることが重要なのではないと中田さん。
昔の味付けは総じて塩分が濃い。めちゃくちゃしょっぱい。
しかしそれは当時の日本人の身体の使い方が違ったからで、その分汗をかくから塩分も必要だったということだ。
誰かが江戸時代の日本人は一日3万歩歩いていたと言っていたな。
また、人間の体の動かし方と同時に環境が変わった。
ということは欲する食べ物も変わってきていると中田さん。
まさに共感。
パクチーブームをはじめアジア料理、スパイスや香辛料への再評価はまさに日本が東南アジア化している証拠じゃないかとわたしも思う。
インドネシア料理や台湾、シンガポール、タイ、ベトナム料理の調味料が好きな女子は多い、あれならご飯が進む。米の品種もだいたいコシヒカリが…
あ、話を元へ戻そう。



愛知県の代表料理は、味噌おでん。
八丁味噌の闘いでGI裁判で国に敗けたと話した岡崎市の八丁味噌の人の話は深刻であった。
昔ながらの伝統的な方法で作る八丁味噌と近代的な道具で作る味噌。
同じにしていいのか。
木桶や木の樽には微生物が宿る。
ステンレスの工場は消毒殺菌して製造される。
イタリアなどチーズ発酵文化が国の食文化を支えているところでは、小さな工房は、大工場とは別物ととらえて守る制度があるという。
この国の食文化が問われているのでした。

和食が世界遺産になって10年でしたか。
去年~2月まで上野の科博で開かれてた和食展もすばらしかったけれど、
民間でこういうやる、D&DEPARTMENTの意気込みというか本気度を感じずにいられない。
農文協の日本の食事、聞き書きシリーズもすごい記録ですが、
今の時代若い人がその本を手に取るかというとなかなか。
キュレーターの相馬さんは、若い人が渋谷の買い物ついでにデートで見に来てちょっと郷土や食について考えるきっかけにしてほしいと話してくれました。

初日のメディア内覧会に行ってきました。
しっかりも見ごたえのある47色の郷土料理とその道具の展示も。





大分の神谷 禎恵さんにもお会いできました。
大分宇佐の世界農業遺産のしいたけ、
宮崎・高千穂椎葉の菜豆腐、



滋賀県の琵琶湖の鮒ずし、





静岡のわさび漬け、
世界農業遺産の農業システムによる郷土料理も多かったー。





長崎

エタリの塩辛

絵本やダンスを作って広めているそう



東京は佃煮ー


なんと入場は無料!能登への寄付募ってます。



























おいしいもの好きは必見ですねー!
#NIPPONUMAMITOURISM